Iringa

Iringa
イルラ

2013年3月12日火曜日

久しぶりの

約1ヶ月ぶりの更新。

この間特に忙しかったわけでもなく・・・でも楽しく過ごしておりました。

12月中旬から1月中旬までの長い休みは一人でいることが全くなく、ここ最近一人の時間の使い方がわからなくなっていた(笑)

なので毎週土曜日パソコンの授業が終わると、イリンガの街へ!!

イリンガの街では、韓国人ボランティアの家で韓国料理を食べて飲んだり、韓国人ボランティアの家で自分がキムチを作ったり。。
この手作りキムチが結構好評!!

ある日は餃子を作ってみたり。もちろん皮から手作り。

















そしてこの間は、KOICA隊員Eの誕生日パーティーで、Eが前から食べたがっていた豚カツを作った。最後はカツ丼まで。

















これまた好評。
自称ダルの日本食屋よりも美味しく出来ました。

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最近は家庭菜園を行っている。

まだ小さいけど、これは水菜。
















そしてバジル。
こちらのスーパーでも乾燥した物は売られていて、普段はそれを使っている。
でも自分で栽培した新鮮なものはより美味しく感じる。
















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3月1日(金)からキリマンジャロ州のモシへ

念願のキリマンジャロマラソンに参加するためにイリンガからバスで15時間かけてモシへ行ってきた。

日本では10 kmのマラソンも走ったことが無かったのに、イリンガで行われたハーフマラソンに出場し、今回で2回目のマラソン大会出場。

でも今回はハーフではなく、フルマラソン42 Km。

3月3日(日)
フルマラソンは朝6時半スタート。
タンザニアには珍しく、時間通りのスタート。

この日は最高(?)のコンディション。晴天。
キリマンジャロ山がハッキリと見える。

10 Km地点までは順調。
でも10 Kmを過ぎたあたりから、足が痛くなってくる。

21 Km地点までは何とか走れた。
ここまでちょうど2時間のペース。

ハーフを過ぎたあたりから、右膝と足の裏が痛くて走れなくなる。
そしてここからのコースの前半は登り。

朝は涼しかったけど、だんだん暑くなってくる。
体力も奪われる。

でも途中、協力隊仲間とすれ違うと不思議と体が軽くなる。足の痛みも忘れる。
仲間の力はすごいね。

途中諦めそうになったけど、仲間のおかげで何とか完走できました。

ハーフまではまぁまぁのタイムだったけど、最終的には6時間15分。

またリベンジしたい。

2013年2月9日土曜日

幻夜

時間を見つけては、読書に時間を当てている。

主には国際協力や経済に関する物。

現在もアフリカの経済活動について書かれた本を読んでいる。
実際にアフリカに住んでいるわけだから、「確かにそうだな」とか面白い発見が沢山ある。


でもたまには息抜きの読書もしようと思って手にとった本が、東野圭吾の「幻夜」。
この「幻夜」は映画化もされた「白夜行」の第2部作らしい。

この小説に出てくる最重要人物、新海美冬。
最初は「白夜行」の第2部だとは知らなかったので、この美冬と「白夜行」の接点、
美冬の正体がわかったときは、とてもうれしかった。

東野圭吾の「白夜行」、「幻夜」をまだ読んだことのない方はぜひ読んでみてほしい。

2013年2月8日金曜日

また水道管が・・・

自宅の水道からかれこれ3週間水が出ていない。

今は雨季だから雨水を貯めて、なんとかなっている。
水道水より雨水の方が綺麗に見えるから、水道水より雨水の方が嬉しい。

水道水からは真っ黒な水が出てくるから(笑)


でもここ1週間雨が降っておらず、そろそろ水道から水が来てくれないかと願っていた。

同僚ともその話をしていたら、「今日、水が来るらしい」とのこと。
そして「もう一度確認してみる」と、同僚が水道局のボスに電話をしてくれた。

そのボス曰く、「水道管が壊れた」

またか・・・・


そして学校が終わり家に帰ってみると、重機を入れて家の前の道を均しているところだった。

















正直こんなことは言いたくないが、もう少し頭を使ってくれ。
こんなことしたら、浅いところに埋まっている水道管は壊れるに決まっている。
(水道管というか、ホースだけどww)

しかし、こんな道をわざわざ重機を入れて均すとは、何を考えているのだろう?
別に車が通るわけでもないのに。

そしてせっかく重機を入れて均していたけど、ものすごく中途半端。
そんなに元の状態とそんなに変わっていない・・・・
また雨が降ればボコボコの元の状態に戻るんだろうな。
(どうせやるならもっとしっかりやってもらいたい。これじゃお金を捨てているようなもんだよ。と思う)

こんなところにお金を使うのなら、早く学校のグラウンドを作ってもらいたいものだ。

2013年2月7日木曜日

後任

残りの任期が5ヶ月を切りました。

ここ最近自分の後任が決まるかどうか、ずっと心配していました。

結果、今回のH24年度秋募集では自分の後任は決まりませんでした。

非常に残念。


震災の影響もあるのでしょうか、もしかした事業仕分けの影響?
H24年度の秋募集では、理科教育の要請数129に対し応募者数27名、数学教育に関しては要請数38に対し応募者数10名。完全なる定員割れ。
(殆どの分野で定員割れ)

これは日本国民の国際協力、青年海外協力隊事業への関心の低さを物語っているのでしょうか?

未だに国際協力やボランティアと言うものに疑問を感じる時があるのは事実ですが、協力隊事業は非常に素晴らしいものだと思っています。
(実際に現地で、現地の人々と活動をしていると、他の団体の活動に対し疑問を感じることがあります。)

様々な国際機関、援助機関があり、ここタンザニアにもそういった機関で働く多くの外国人が住んでいます。彼らが実際に何をしているのか詳しくは知りませんが、現地で、現地の方々と一緒に活動するというスタイルは、日本の青年海外協力隊をはじめとするボランティアだけではないでしょうか?

ここでは、そういったオフィスでは経験できない、もちろん日本でも経験できない貴重な体験にたくさん出会うことができます。

協力隊へ応募する前は、協力隊という選択に対し相当悩みました。
しかし実際にここで活動し、生活している現在、本当にこの選択は正解だったと思っています。

なぜなら沢山の貴重な経験を積んでいるから。
(自分も日本にいる時と比べ、少しは成長できたのかな。)

そして是非とも日本の多くの若者(自分もまだまだ若いけど)に、この貴重な体験を経験してもらいたいと思っています。

カリブ青年海外協力隊

2013年1月28日月曜日

キリマンジャロ ⑥

1月7日 登山6日目 最終日

最終アタックの疲れからか、熟睡。

この日は最終日。
Mwekaキャンプからゲートへ約15 km。そしてMoshiの街へ。

朝8時キャンプを出発。
(なぜかこの日だけ出発時間が予定通り。)

午前11時半、ゲートに到着。
ここで5泊6日のキリマンジャロ登山が終わった。

そしてMoshiの街へ。

最後に登頂証明書を頂き、今回お世話になったガイドやコックさん、ポーター達と記念撮影。
















色々なハプニングがあったけど、楽しい登山だった。

そして登山後の食事とキリマンジャロビールは最高だった。

日本に帰ったら、次はどこの山に登ろうかな??

キリマンジャロ ⑤

1月6日 登山5日目 最終アタック

最終アタックは、午前0時から。
仮眠を取り、日付が変わる前、午後11時に起床。準備をし、軽食を摂り出発。


実は登山3日目のキャンプ地(Barranco Camp、3,840 m)から、2人用テントに3人で寝ていた。

我々のパーテイーは5人。
テントは2人用なので、5人中誰か1人は一人で寝なければならない。

でも2日目のキャンプで寒すぎて、一人では良く寝ることができなかった。
そこで次の日から、2人と3人に分かれて寝ることにした。

最終アタック前のベースキャンプ地の標高は4,600 m。
かなり酸素は薄い。すぐ息が切れる。

2人用のテントで3人で寝ていた我々は、仮眠から目覚め起き上がると体に異変を感じていた。体がだるく、頭が痛い。
テント内の空気は相当薄くなっていたらしい。

これまで軽い頭痛は少しあったものの、深呼吸をすれば大抵収まっていた。
でも今回の体のダルさ、頭痛はなかなか取れない。
軽食も喉を通らなかった。

そして下痢。
(ちなみに下痢は初日から。恐らく高山病予防薬の副作用)

体調最悪の僕は、ガイドに下痢止めと頭痛薬をもらいなんとか出発。

体調は最悪だったが、天気は最高だった。

星空は美しく、街の夜景も綺麗。

多くの最終アタック登山客が一列に照らす灯りもなんとも不思議な光景。

一歩々々、ゆっくりと歩く。
でも標高が高くなるにつれて、キツくなってくる。

ガイドにも無理をせず下山するかと聞かれたが、なんとしてでも登頂したかった。

一応血中酸素濃度を測ってみる。
標高4,800 m付近での平均値は79%位らしいが、自分は85%もあった。

全然悪くない。この体調の悪さは気のせいではないかと思っていたら体も軽くなってきた。

そしてチョコレートでエネルギー補給をしたら復活。

高山病から復活
















予定よりも大分遅れてしまっが午前7時半頃、標高5,739 mのStella Pointに到着。






















ここまで来れば登頂証明書は貰えるが、
標高5,895 mのUhuru Peakまでなんとしてでも行きたかった。

ここStella PointからUhuru Peakは近そうに見えるのだが意外と遠い。

さらに1時間半近く歩いた。

途中エネルギー切れでヘトヘトになりながらも8時半になんとか全員Uhuru Peakに到着。

全員揃ってキリマンジャロ山登頂成功!!














少し余韻に浸っていたかったが、すぐに下山開始。
ベースキャンプに引き返します。















午後1時頃、ベースキャンプに到着。

昼食休憩をとり、
・・・・・もっと休んでいたかったけど標高3,100 mのMwekaキャンプまで一気に下山。

午後6時 Mwekaキャンプ到着。

この日は昼食休憩を除いて、約16時間、約30 km歩き続けた。

続く

2013年1月25日金曜日

キリマンジャロ ④

1月5日 登山4日目

この日は標高3,860 mのBarrancoキャンプから、4,600 mのベースキャンプ地となるBarafuキャンプを目指す約13 kmのコース。

この日の朝も快晴。














この日は、一気に登ったり、





















一気に下ったり、
















そしてまた登ったり、下ったりを繰り返し、昼過ぎにKARANGA HUTに到着。

大分登った気でいたけど、標高はまだ3,930 m。まだ約600 m登ります。

ここで昼食休憩。この日はテントの中での昼食。

テントに入ってから昼食まで時間が空いてしまい、皆うとうと。

昼食を食べ終え、・・・まだ寝ていたかったけど気持ちを切り替えて出発。















午後4時半、標高4,600 mのベースキャンプ地、Barafuキャンプに到着。

到着後は、荷物をまとめ、夕食を摂り、最終アタックに向けたブリーフィング。

そして仮眠。この仮眠が思いもよらぬ悲劇を生むことになるとは・・・・

続く